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光射す方へ 

ようやく福島にも桜前線が到着した。水の里に通うようになってから毎年のことなのだが、自宅周辺の桜が散ってしまったあとも、こうして福島でもういちど満開の桜を愛でられるのだ。
昨年は、震災の影響でゆっくりと、特に瓦屋根が落ちたり、家が傾いたりしている横では、どんなに鮮やかに、健気に花を咲かせてくれても、花を愛でるという気分にはなれなかった。
そんな矢先、物凄いタイミングの良さで、ラジオから『花に興味を抱けるときは、心に余裕がある時なんですと、とある学者さんが教えてくれました』という放送が流れてきた。
昨年、自宅周辺では、敢えて家族で桜を見に行った。もちろん心に余裕があったわけではないが、日夜、壮絶なシーンがテレビから流れてくるなか、子供の心にも相当なストレスがたまっていたに違いない。そんな重い心が、少しでも軽くなればと花見に行った。でもそれは、子供もそうだが、つまりは自分がそうなりたいと思ったにすぎないのだが・・・。
奇跡的に、水の里は被害を受けなかったのだが、それでも水の里の桜をゆっくりと愛でることはなかった。残念ではあったが、あの時、僕には水の里の桜を受け入れる余裕がなかったようだ。
それから時が過ぎ、山肌をパステルカラーが覆い、やがて鮮やかな紅葉の季節を迎え、そして白一色の世界に包まれても、心穏やかに過ごす事ができないでいると思っていたのだが、今、こうして福島の桜を、1年前とは違って、愛でることができているのだから、知らず知らずのうちに、少しは心に余裕がでてきたようだ。

『人は忘れるいきもの』
この言葉は、その人の取りようによって、いかようにも解釈できると思うのだが、ネガティブな思いを引きずることなく、福島の桜を愛でられていられることは、この忘れるという特性のおかげだろう。
とは言うものの、昨年の大震災、そのことから端を発した様々な不安要素が、心の中から完全に消え去ったわけではない。それでも時は過ぎ、否が応にも前へ歩いていかなければならない。忘れるなんてできないのかもしれない。けれど、心を埋め尽くしていた真っ黒な闇に、少しずつではあるが光が挿し込んでいるようだ。
世の中では、大型連休に突入した。福島の桜が、GWと重なるのも珍しい。昨年は控えざるをえなかった福島の桜祭りだが、今年は運よく大型連休と重なったこともあり、大賑わいが予想されている。
村おさ・長さんのお店はどうだろうか?前回、お水採りに伺ったときに、村おさ・長さんと愛息・ともくんとともに丸太を立てたお店の看板は、無事にこの連休前に復旧した。常連さんならいざしらず、偶然通りかかった観光客の方には、この看板があるとないとでは、まったく効果が違ってくる。今頃、桜が満開なのだから、『なんだか連休って感じが全然しないんですよね』という“ともくん”の言葉にもうなずける。
ただ、桜の開花が遅れていたのと時を同じくして、山菜の出方も遅れていたのだが、ここ2、3日の急激な気温の上昇で、“こごみ”が一気に成長してしまった。それでも、ひとつかみほどは収穫できたのだが、次のターゲットである“たらの芽”は残念ながらこの配達期間中に旬が過ぎてしまうだろう。
そんな状況ゆえに、この連休中に村おさ・長さんのお店を訪れる方々には、旬の山菜が振舞われることになる。やっぱり、天然物の旬の山菜は絶品だ。それに山のお母さんの絶妙な天ぷらテクニックが加わるのだから、ほっぺたが落ちない訳が無い。
少しずつだけど、確かに福島にも光が射し込んでいる。そう思えた、今回のお水採りだった。
- 高 志 -

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