FC2ブログ

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

嘘つき 

前回のラ・ラビアータで触れた『だけど、くじけない 子どもたちからの元気便』の著者であり、カメラマンである長倉洋海さんの講演会が、地元・片瀬であるという情報をいただき、娘の汐里と一緒に参加してきた。
前々回の配達の際に、会員さんからのこの本を紹介され、そのことを前回のラ・ラビアータに掲載したら、その週末に地元の片瀬公民館で講演会があるというのだから、不思議な流れである。 
それまで長倉洋海さんのことを知る由も無く、ましてやその方が近所の公民館で講演会を開くなどという情報すら持ちえなかったのだから、不思議というしかないのだが、物事の道理はどうやらそういうものらしい。必要なものは、自然と必要な人の所に集まってくるようだ。
前回でも述べたが、その本の中に出てくる子どもたちの愛くるしい笑顔といったら、なんと表現したら良いのだろう。とても優しく、希望に満ちたその表情は、見ているこちらまで優しい気持ちにさせてくれるものだ。
そして、そんな表情を引き出し、写真におさめられたカメラマンである長倉洋海さんとはどんな人なんだろうというのが、この本を手にしたときの率直な感想だった。
少しだけでも、カメラをかじったことのある人ならおわかりだろうと思うが、同じ被写体を、同じカメラで、同じ露出で撮ったとしても、カメラマンによって出来上がり全く違ったものとなる。ましてや、今回の被写体は、被災した子どもたちだ。その子どもたちに、あれだけの表情を出させるカメラマンとは・・・。
小さな会場のなかに、整然と置かれたパイプ椅子。それに向き合うように会議用の長テーブルが1台置かれ、水が用意されている。その席に着く人がどんな人物なのだろうか、注意深く見守っていると、やがて1人の少々いかつい表情をした“おじさん”がその席に着いた。

続きを読む

スポンサーサイト

宝 物  

前回の配達の際に、ある会員さんから1冊の本をご紹介いただいた。
『だけど、くじけない 子どもたちからの元気便』長倉洋海と東北の子どもたち(NHK出版)という本である。屈託の無い笑顔の少女が表紙のフォトブックである。
昨年の東日本大震災において被災した東北3県4地域の子どもたちの写真と作文が綴られている。震災後半年以上が経過してから撮影されたとはいえ、その子どもたちのとびっきりの笑顔にはまさに『心が鷲摑みにされた』思いであった。だけど、その子どもたちの心の奥底に刻み込まれた恐怖と寂しさと怒り。それでも前に歩んでいこうという強い信念。子どもたちには、はっきりと明るい未来が見えているのだ。この子どもたちに対して、いったい僕達大人は何ができているのだろうか?子どもたちの思いに対して、邪魔ばかりしているのではないのだろうか?
子どもたちに対して、何ができるのだろうなんて大層なことなど言えない。せめて子どもたちの思いを邪魔しないようにしなければ・・・。
福島・いわきの12歳の少女は『大人の人たちは、「福島原発」というふうに言う。でも、本当は、東京の電力なのに、福島県がわるいっていっているようで、ちょっとつらいです。』と作文に書いている。東京電力管内で生活している者としては、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
また他の12歳の少女は『私は今、とてつもないかなしみといかりでいっぱいです。それは、ニュースで福島原発のことや、ほうしゃせんのこと、同じ日本人なのに、あぶないものあつかいされること、新聞で外国から、「福島という名前をやめたらどうだ」などの記事を見ると、涙といかりがこみあげてきます。私は絶対、福島と言う名前をあきらめません。それは、福島が大好きだからです。』という一文をのこしている。

続きを読む

おくりびと 

 トラさんが息を引き取ってから、はや1ヵ月あまり。ベストセラー本になぞらえて、なんだか心が整わないな、などと言いながら月日だけは淡々と過ぎていく。送る側がこうなのだから、きっとトラさんも何がなんだか訳がわからず、それでも妙に身体が軽くなって、あっちこっち行きたいところを飛び回っているのだろう。そんなトラさんをあの世へ送り出そうと、2/11(土)にたくさんの方々が集ってくださった。
 生前、トラさんは人の死、いきものの死というのは悲しむものではないというスタンスをとっていた。現世での暮らしを終え、新たな世界へと旅立つのだから、明るく送り出してあげるのが本当の姿だというのが持論だった。
 近年、そうした考え方は異端ではなくなり、中にはこの世からの『卒業』という言葉を用いて、温かく送り出そうという方々も増えてきているようだ。
ならば、トラさんを送り出すのもしみったれたものでは本意ではないのだから、明るく楽しく送り出そうと心に決めていた。それになにより、懐かしい方々に久しぶりに会えるというのも楽しみのひとつであった。
九州や関西、または会津といった遠方から駆けつけてくれた方々や、仕事を抜け出して来てくれた方々、ラ・ラビアータでお馴染みのツエ村から寄稿してくださっている『ジョー』さんこと上田隆さん・真奈美さんご夫妻など、普段なかなかお会いできない方々との再会は、トラさんが置き土産とばかりにプレゼントしてくれた宝物だ。
それに、残念ながらご参会いただけなかった方からは、素敵な詩を贈っていただいた。送る会が始まる前に、この詩を目にしたとき、『もう今日はこの詩と巡り会えたことで満足だ』と心から思った。それほど、心に響く詩であった。

続きを読む

3ヶ月 

あれから3ヶ月が過ぎたが、自然の動きがどうも落ち着かない。各地で突然温泉が噴き出したり、逆に枯れてしまったりなどという現象が起きているのだから、相当地盤が動いてしまったのだろうが、それに付随した動きなのか、天候までも不穏な動きをしている。早すぎる台風の到来や梅雨入りもそうだが、今回のお水採りでは、それまで雲ひとつない快晴だったのに、突然黒い雲が湧き出て、雷鳴がとどろき始めたと思ったら特大の雨粒が地面をドラムロールのようにたたきはじめたのだ。そうこうしているうちに、雨粒がウズラの卵大ほどの雹にかわった。そう、真夏の光景が梅雨入り間もないこの時期に起きているのだ。
 そして雹がやんだと思ったら、今度は地震の襲撃である。生きた心地がしないというのは、まさにこういうことを言うのだろう。村人達もこれにはさすがに肝を冷やしたようで、口々に『この世の終わりかと思ったべ!?』と苦笑していた。
 幸い、水の里の湧き水は変わらずにいてくれているが、これだけ色々なことが起こると、変わらないことが奇跡だと思えるほどだ。
 

続きを読む

それ、必要ですか  

 あの日から2ヶ月が過ぎ、できる限り普段通りの生活を心がけようと努めてみても、なんだか心がざわついて落ち着かない。それは別世界である水の里にいても変わらない。節が来たと、山菜採りに出かけても、どうも山の波動とうまく調和しないのだ。
 それも、そのはずだ。天災だけなら、気持ちを新たに復興に向けて力を振り絞れる。だが、先の見えない、さらに姿形を見せない化け物を相手にしては、どのように対処してよいのか心が定まらないのだ。しかも、今まで発表されてきたことが、ことごとく嘘だらけであったなら、怒りを通り越して、気持ちが萎える一方である。
 
いまひとつ振り返ってみて、3/20までに解説されていた、いわゆる専門家の方々の見解はなんであったのか。あれだけの爆発事故が起きていながら、外壁のコンクリートが吹き飛んだだけで内部に問題はないだなんて、後から出てくる現場写真を見れば、全くの見当違いであったことが一目瞭然だ。わからないなら、わからないと言ったうえで、想像しうる最悪の状況を明らかにしてくれたことの方が、どれだけ心構えができたことか。事実、インターネットの動画サイトであるユーストリームで、当時いわゆる悲観論者とされた方の見解が流された後の視聴者の反応は、『最悪と言われるレベルでも、この程度なんだ!!』というものが多かったそうだ。
 要は、悲観的な情報が垂れ流されると、国民がパニックを起こし、3次被害、4次被害が起こるという懸念から、楽観的な情報操作が行われていたようだ。つまり、国民は政治家や官僚達に完全に馬鹿にされていたということになる。

続きを読む

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。